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2008年10月30日 (木)

キャラクターの生死観について

もう今更ですが、「キャラの生死観」という話題が出てたので、のっそりと語ってみるテスト。
もう終わった話題とか言うな。語りたいだけなんだ!!>本音

まぁあれだ、根本的な部分から、おそらく皆さんとはスタンスが違うんですが・・・。
自分は、「キャラは自分の子供」とか言うつもりは無し。
そもそも「キャラが弥馬都という世界で生活している」とすら思ってません。
自分のスタンスとしては「キャラがキャラを演じている」これです。
例として出すのも恐れ多いのですが、神・手塚治虫の「スターシステム」。
イメージ的にはあれです。
金雀枝 薙というキャラが「薙さん」を。
狛鈴というキャラが「狛鈴」を。
角突 丑女というキャラが「丑女」を。
渦導 稀有主というキャラが「渦導センセー」を。
それぞれが演者となって、それぞれを演じているというスタンスです。
だから時々、「NG」と称して別パターンをこしらえたりしてるわけですが。
あれも、演じているという前提だからこそNGも出るだろうという考えで作ってます。
じゃぁ、自分の立ち位置は?
おこがましい話ですが「脚本」兼「演出」です。

ではこの先、キャラの生死を選択しなければいけなくなったとき・・・。
自分はどういう脚本にするべきでしょうか?
答は一択です。
「そのキャラの、一番いい演技が出来る脚本を」
もし「死んで欲しくないから」と安易に生存させてしまったら・・・。
その先そのキャラがいい演技をする機会と言うのは訪れるでしょうか?
見せ場を奪われた上に、不甲斐ない演技を見せてしまった・・・と感じるのではないか?
脚本の都合なんか二の次。
いかに演者を輝かすことが出来るかが腕の見せ所ですな!!

で、「死にキャラ」っているじゃないですか。
ぶっちゃけ自分も作る予定あるんですけど・・・。
個人的には許容ですね。寧ろ必須だと思いますよ。
やはり「死ぬ」という説得力はでかいですから。
ただ、死にキャラって逆に扱いが難しいと思いますよ。
「死ぬ」ということの効果を最大限生かさないといけませんからねー。
安易に死なせるだけでは、「使い捨て」と揶揄されても致し方なし・・・というところでしょうか?

なんにしても、演者が最上の演技が出来るようにすることが、自分の役目なんだと思いますね。

 

 

 

 

ただ・・・。
ちょっとだけ横道にそれて、泣かせてみたいなーとか思うときがあるから困る。
あ、これ、語ったこと台無しじゃね?

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